一年前の夏、わたしは自分のことをやっと分かり始めたころでした。
それまでは自分にないものを探すために色々なことに手をつけて、どれも大成せず、そんな自分はダメだと思っていたんです。
自分の感情も、得意なことも、似合う服もよく分からない。
「なんだか分からないけれど心がざわざわする」「なんだか分からないけれど涙が出る」
など、なんだか分からないけれどを繰り返し「どう思う?」と聞かれるのが嫌いでした。
反射的に自分がどうしたいよりも、相手にとって、状況に沿った正解を探してしまう。
そんなわたしが「自分を生きられる」ようになったのは、非暴力コミュニケーション(NVC)との出会いがきっかけです。
あまり聞きなれない言葉ですが、コミュニケーション方法の一つです。
抱えていたコミュニケーションの問題
「ねーねー、聞いてよ!!こんなことがあってさ、ムカついたんだよね!」と友だちから話しかけられたら、どんなふうに答えますか。
「え?そんなことあったの?そりゃムカつくね!!!」と共感したり。
「うわ~、かわいそう」と同情したり。
「あー、わたしも最近同じことあったわ、あのね…」と話を自分のものにすり替えるなんていうこと、ありませんか。
過去のあるあるなのですが、相手のイライラモヤモヤ話を「うんうん、そうなんだ」と共感的に聴き続けた結果、ものすんごい疲れとモヤモヤを自分が背負って帰るということがよくありました。

それを繰り返すうちに、わたしは人の話を聴きすぎるから自分を大切にできていない。だから不満ばかり言う人は嫌い。なるべく会わないようにするという選択をする。
自分の思いを否定してくる人は大切にしたいことが違うから、離れることを選択する。
相手の気持ちを尊重しすぎたり、自分の気持ちを尊重しすぎたりして、結果断絶や壁ができることを繰り返していたんです。
非暴力コミュニケーション(NVC)とは
非暴力コミュニケーションは共感コミュニケーションや非対立コミュニケーションとも呼ばれてもいるのですが、相手の話を共感的に聴くだけでなく、自分の気持ちにも共感的に向き合います。
相手のモヤモヤに対して「え?そんなことあったの?そりゃムカつくね!!!」と良い悪いの判断をしたり、「うわ~、かわいそう」と上から相手を見下ろしたり、「あー、わたしも最近同じことあったわ、あのね…」と話を自分のものにすり替えたりせずに、ただ「そんなことがあったんだね」と聞きます。
そのとき感じていた感情を一緒に探し、感情の奥に眠っている願いを探します。NVCでは願いを「ニーズ」と言います。
評価:正しい間違いで判断する→観察:どんなことが起きているか
思考:どうしてそうなったのかの理由を探す→感情:どんな気持ちがわいているのか
手段:回避する方法を探すなど→ニーズ:本当に欲しいものはなにか
強要:相手にまたは自分に対して無理を言う→リクエスト:願いを叶えるために相手または自分になにができるかをリクエストする
根っことして大切なのは、相手の気持ちに共感することではなくて、自分に共感することです。

自分との関係ができてくると、自分の気持ちを素直に表現できたり、相手の気持ちを共感的に受け止めたりできるようになります。
わたしの場合の変化
自己共感のために、観察と感情を数か月間徹底的に意識しました。
最初は分からなかった自分の気持ちが、少しずつ見えるようになりました。
考えると苦しくなるから、理由が分からなくてもいいやと思っていたことにも必ず理由はあったことに気づきました。
ついつい自分と向き合うと自分のダメな部分ばかり目につきますが、ポイントは見えたことをそれがあるなと受け止めることでした。
ダメなところは改善点ではなくて研究テーマ。ちょうど一年前は自己認知(セルフアウェアネス)の夏でした。
面白い変化がありました。
槇原敬之さんの「僕が一番欲しかったもの」という歌の歌詞が好きで何度も繰り返し聴いていたのです。
「自分が欲しかったものを他に欲しかった人の視線に気づいて譲る。譲り続けた自分が手に入れたものは、みんなの笑顔だった」というような歌詞です。
そんな人間になりたいと思っていて、そうではない部分を見つけると「わたしってやっぱりダメだ」と思っていました。
ある日曲を流しながら車を運転していて、ふと…

と、急にダムの決壊みたいに涙が流れました。
「お姉ちゃんなんだから我慢しなさい」「お姉ちゃんらしくしなさい」と言われ、自分の欲しいものを譲ることで認められた子ども時代。
自分が本当にそう思って生きてきたわけではなく、他者評価とくに親から「良い子」と思われるためにそれを演じてきたことに気づいた瞬間でした。
自己表現の夏へ
自分を探求して、つながって、安心できると表現したくなるものなのだそうです。
わたしは今まさにその時期に入っているように感じます。
友だちの話を聴いてドッと疲れていたはずが、子育ての悩み相談のワークショップを開いています。
全く疲れないわけではないのですが、NVCを用いて聴くと疲れは心地よくいつまでも残りません。
今活動をしている子どもの居場所作りも、自己表現の一つだと思います。
居場所を必要としている誰かのために動いている、もちろんそれもありますが、自分が居場所を作ることで何が満たされるのかに向き合っているのでモチベーションが保てています。
必要としている人がいるかいないかという他人を軸とした活動ではなく、自分がやりたいからやる。
自分のやりたいことが誰かのためになったら、めちゃくちゃ幸せだなと感じています。
NVCグローバルフェスティバルJAPAN
一昨日28日からNVCグローバルフェスティバルJAPANが開催されています。
3日間で国内や海外の著名な講師によるライブやセッションが20以上。聴くだけでなく参加して、お互いに感じたことをシェアし合っています。
一緒のルームでお話された男性のかたが「NVCを学び始めたばかりなのだけれどすごく必要だと感じている。僕は護身術に似ていると思っているんです」とおっしゃっていて、面白い!と思いました。
相手から急に振りかかるパンチを食らっていたら自分の身が持たない。だからといって、痛かったからと仕返しで殴ったらケンカになってしまう。
護身術は相手にけがをさせないことと、自分の身を守る両方が考えられている。NVCも相手にも自分にも共感的に対話できますよね~と。
なるほどなぁと感じました。
わたしが尊敬するかたの一人、麗美さんの記事には「NVCを学ぶことで敵なし状態になれる」と書いてあります。
「良い」「悪い」という評価・判断を外した時、人間同士の暖かさでつながることが容易になります。
NVCは、教育や社会で生き延びるために必要だった「評価・判断メガネ」を外して、裸眼で世界の美しさを捉え直す視力矯正とも言えるスキル。その魅力を私なりに一言で大胆に表現すると、、、
「敵なし状態」
「嫌い」「苦手」と感じる人がいなくなり、まるで無敵スターをとったスーパーマリオ状態。
スターマリオですから、相手が誰でも恐れることがなくなります。
自分が傷つかないと確信できると、自分から防御や反撃のための暴力を振るうことがなくなります。
その結果、敵のいない世界が自分の周りにでき、その余裕の中から自分の優しさを素直に表現することができるようになります。
すると毎日が変わります。
わたしはまだマリオにはなっていませんが、最初に書いた「不満ばかり言う人は嫌い。なるべく会わないようにするという選択をする。それから、自分の思いを否定してくる人は大切にしたいことが違うから、離れるを選択する」ということがいつの間にかなくなりました。
相手との居心地のよい距離を保つことはもちろんあります。距離をおくことに罪悪感もなくなりました。
超身軽!(体重は増えたけど)
Twitterやブログでどうやって時間調整しているの!?と聞かれることも多々あるのですが、自分がやりたいことをやりたいままに動いている。ただそれだけです。

NVCを学ぶためには
わたしがNVCを学んだのはファミリーコンパス「渋谷聡子」さんの子育て航海術でした。
「いかしあうつながりがあふれる幸せな社会」を目指す非営利組織グリーンズにも魅力的な講座がたくさんあります。
さきほどご紹介した麗美さんもクラスを開いています。
自分に正直かつ苦手な人がいなくなり、優しさで誰とでもつながる共感力を鍛える技
NVCの教科書的な本です。
わたしがココナラに出品している子育て相談でも、NVCの観察→感情→ニーズ→リクエストの順に解決のヒントを探します。
子育て・人間関係の悩み相談にのります 幼児教育や保育に20年以上携わり、発達障害保育経験もあり
自分がどうしてモヤモヤしているのか、本当はどうしたいのか、周囲の人とのコミュニケーションがうまくいかないなどで悩んでいる人がいたら非暴力コミュニケーションをかじってみることをおすすめします♡