産後や子育て中の状態って、今振り返ると過酷でした。
体は思うように回復せず常に眠い、自分の身体以上に気にかけなければいけない存在がある。
小さくて頼りなくて、絶対的に守らなくちゃいけなくて、クタクタだろうがボロボロだろうが待ってくれない。
新しい命と出会えた喜びと同じくらい、不安で心配でパニックでした。
いつもと違う状態であることを前提に、息子を産んだあと、夫、実家、義実家にしてもらって嬉しかったことと本当はしてほしかったことについて書いてみたいと思います。
夫に感謝していること
仕事の忙しさがピークで、帰宅は夜の10時~11時でした。
疲れて帰ってきても、腰痛のひどかったわたしの腰をさすってくれました。
息子とカンガルーの親子みたいな生活をしていたので、一日抱っこして疲れた腕もほぐしてくれました。
相当疲れていたはずなのに…。
休日にご飯を作ってくれることもありました。誰かと一緒に家事や育児を共有できる休日は楽しかったな。
本当はしてほしかったこと
産前にマタニティスクールへ行ったとき「妊婦の大変さを体感しよう」という時間があって、男性陣がおなか周りに重りをつけて歩く体験をしました。
他のご主人が「こんな状態なのか、大変だね」と口々に言う中で、夫は「ほら、平気だよ」って言ったんです。
は?って。この人共感性低いな…と呆気にとられました。
息子をちょっと見て「俺けっこうできるぜ」アピールをすることが多くて、「ああ、認めてほしいのね。でもわたしはいつもこんなふうなんだね。大変だね」って共感してほしいんだよねって思ってた。
夫は子育てに関して、お願いしたことはやってくれました。それで十分かもしれないけれど、その頃「子育ては夫婦で楽しむべき(楽しみたい)」がわたしの中にあったのでモヤモヤしていました。
他のご主人が公園で楽しそうに子どもと遊んでいる様子を見ると、羨ましかった。
夫はやらなければいけないことの一つとして息子と公園に行くけれど、自分が楽しむということはなく、自分を褒めてほしいがずっとあるのだろうなと思います。
わたしたち夫婦はお互いに共感を求めて、さ迷いながら歩いてきたのかも。
実母に感謝していること
産前産後、実家に帰りませんでした。
実家から車で30分弱という近さなのと、結婚してやっと実家を出られたので戻りたくなかったから。
母は仕事が休みのときには、通ってくれて息子の面倒を見てくれました。産後の手伝いは、心から嬉しかったです。
実家に帰らなくてもどうにかなると思っていましたが、どうにもなりませんでした。
しばらくは外にも出られないので、話し相手がいるだけでも助かりました。
嬉しくなかったこと
息子に甘く、優しいおばあちゃんの姿を見るたびに、わたしの中で微妙な気持ちがわいていました。嫉妬だったのかも。
厳しく、怖かった父と母が、息子にデレデレの様子には嬉しいを通り越して、違和感をもちました。
息子は3歳頃から漢字に興味をもち始めて、お絵かきしながらよく書いていたのですが「書き順が違う」とこだわる母に嫌気がさしました。まだ3歳だからさ、書き順とかじゃなくて楽しんでいる気持ちに共感してあげてよ…と。
息子が大きくなるに従い、型どおりにさせようとすることがあったり「もっとこうしたら」的なアドバイスも嫌になり、実家に行く回数を減らしました。
母の特性だと思うのですが、食べ物でも飲み物でも好きだと言ったらずっとそれが好きだと思い続けるのです。
子どもの好みってどんどん変わります。大人だって変わるけど。それに気づかない、というより気づけないのだと思います。
興味が通り過ぎているものを渡されて「これ、好きよね、嬉しいでしょ」と感謝を要求されるのが嫌でした。
耳を傾けて様子を観察したら、子どもが興味をもっていることって分かりやすいと思うけれど、観察したり相手に寄り添うことが本当に苦手な人なんだなと思います。
義母に本当はしてほしかったこと
義母はフルタイムだったので、全く手伝ってもらえませんでした。
義父母は物で孫への愛情を伝えようとして、顔を見せるたびに何かを買って用意していました。
それが、ため息がでてしまうものばかりでした。
- サイズが大きすぎて当分タンスの肥やしになる
- 趣味が違いすぎるベビー服
- 大きなオモチャ
精一杯の愛情表現だと理解しようと思っても、やっぱり迷惑。
2Kの狭い貸家に住んでいたので「どこに置くの!?」と夫にキレたことがあります。
夫が「たよらこが大きなものは勝手に買わないでほしいと」と歯に衣着せぬ言葉で義父母に伝えたことで、更なる溝ができました。
孫ができたら、量より質のよいものを時々プレゼントしたい。相談して決めたい。
義母に「こんなに静かでいい子でラクな子はいないね~」と何度も言われました。
普段一緒にいない人にそんなことを言われて嬉しいはずがなく、いい時もあればそうでない時もあるし、息子の一部を褒められても嬉しくないと思いました。
「大変だね」って言ってほしかった。
その頃義実家には大きな犬がいました。その犬がわたしは怖かった。
わたしに対しても息子に対しても激しく吠えるので(嫉妬)長い時間いるのが嫌でした。
部屋も汚くて散らかっていたので授乳できる場所もなく、居心地がよくない。それなのに「毎週来てほしい。もっと長い時間いてほしい」と聞いたときは

と思いました。
息子が機嫌のいいときだけ抱っこして、そうでないと返されるのも疲れました。
居心地が悪い、子育てのいいところも、そうでないところも共有してくれないのなら、長い時間一緒にいる意味はないと思いました。
感謝していること
義母とわたしの間に入っている夫の仲介が下手すぎて、何度もヒビが入りました。修復不可能にまで陥っても戻れたのは、夫を介することをやめて想いを伝えるようになってからです。義母はちゃんと話を聞いてくれました。
それから一緒にランチを食べたり、二人で飲みに行くようになりました。
義母が抱えてきた苦労を知り寄り添うことで、本当の親子になっていったように感じます。
息子は小さいころ実母が大好きでしたが(一緒にいる時間が長かったので)、大きくなってくると義母と一緒にいる時間のほうが心地よくなっていったと思います。
義母は息子が興味をもっていることに対して同じ視線で見て「けいは〇〇がすきなんだね」と寄り添っていました。そして息子の話に楽しそうに耳を傾けていました。
ただ息子が高校受験のとき、志望校を何度も何度も聞いてくることで距離ができました。
息子が何かで賞を取ること、成績に敏感になったのは期待が膨らんでしまったからだと思います。
それが息子には重いと感じたのでしょう。「おばあちゃんに、全部言わなくちゃダメなのかな」とポロっとこぼしていました。「言いたいなら言えばいいし、言いたくないなら言える時まで待ってほしいと伝えたら」と言いました。息子はおばあちゃんを傷つけたくなくて、困っていました。
小さい時はぴったり寄り添うことで安心感ができても、大きくなると距離感をもって見守るって大切かも。忘れないようにしたいです。
膵炎で入院したときに「どうしてこうなっちゃったのかしら」「残念だ」と言われたこともショックでした。
ショックで残念と感じているのは息子で、入院が長引いても前を向こうと必死でした。
揚げ物が食べられないと言っているのに、コロッケを作っているときもあって愕然としました。
「大丈夫」が口癖の義母ですが、大丈夫じゃないこともあるって叫びたかった。
悪気のない言葉でも相手を傷つけることがあるなって、書きながら改めて思いました。
まとめ
わたしの産後・子育て中にしてもらって嬉しかったこと、嬉しくなかったことについてまとめました。
書いているうちに色々なことを思い出し、こんなに負の感情があったのだなって。それを整理できてすっきりしました。
これはわたしの場合であって、みんな同じかというとそうではないと思います。
わたしにとって嬉しかったことも、そうではない場合もあるし、逆に嬉しくなかったことが「それ嬉しい」と思うこともあると思います。
大切なのは、今目の前にいる人がどういう状態でどんなことに困っているかにただ静かに耳を傾けるということ。
これは嬉しくないだろうとか、きっと喜ぶはずという予測で相手を決めつけないことが大事だと思います。
