実家の居心地が悪いです。
ずっと思っていたのに、言葉にしたり文字にすることをためらってきました。
でも、ハッキリ言っちゃう。

どうして居心地が悪いのか、本当はどんな場所を求めているのか、居心地の悪さと向き合う方法についてまとめました。
居心地のいい実家なんてあるの?
友人、知人は親との関係が良好な人が多いです。
「実家に行くと何もしなくて済むからラク」
「つい実家に行っちゃう」
「お母さんと買い物に行って…」
そんな実家あるの⁉
驚きでした。同時に羨ましい気持ちが湧き出ます。
実家に行くと常に何を手伝えばいいのか、足りないことはないかなど、正解を探して忙しい。
「ゆっくり座っていていいよ」なんて言われたことがない。
「餃子を包むから〇時までには来て」とは言われますが、ご馳走になるんだから当たり前だよね、と思っていました。
母は気に入らないことがあると機嫌が悪くなったり、無視をするので会話に気を遣う。これは昔から続く苦痛。
夕飯後の片付けはわたしの仕事だったのですが、最近父が台所に立つようになり洗い方にこだわりが増して、わたしが洗うことを拒否します(どんな洗い方かは特殊過ぎて書けません)。
甘えてラクすればいいんじゃない?
そうなんです。
でも、すごく不機嫌な顔で洗っているんです~~💦
それを見ると申し訳ない気持ちになるのです。行かない方が良いのでは?という気持ちにさえなる。
自宅に帰ってくるとホッとします。
義実家では夕飯は義母が作ってくれます。
後片付けはわたしの分担と自然な流れで決まっています。
役割的な部分では、気を遣わないのでラクです。
ただ、義母と義父のケンカに巻き込まれたり、義母の噂話を延々と聞かされるのが嫌だ。
噂話が嫌い。
「〇〇さんがあーでこーで、そーなんだって」
うん、それでお義母さんはどう思ったの?
どうしてそう思ったの?
わたしはそちらが気になって仕方がないのです。
でもそんなことをイチイチ聞く嫁なんて面倒くさいでしょう。
だから聞いているふりをして流そうとします。
流そうと思っても、流せない自分もいます。
部屋がモノに溢れていて、清潔ではないこともストレスの一因です。
義実家から自宅に帰ってきても、すごくホッとします。

本当などんな実家だったらいい?
夕飯をご馳走になって、片付けもしてくれて…そんな実家だったら、そりゃいいな。
でも、わたしが本当に求めているものはそういうことじゃない気がする。
気楽さも欲しいけれど、やっぱり「愛」「理解する・される」なのだと思う。
「最近なにかあった」的な話自体がほとんどないです。
母も義母も一方的に自分のあったことを話してくる。
時々こちらに振ってきても「そうなんだ~」「大変だね」で終わり。
妹とも話したのですが、両親とも「出来事」に対して「どんな気持ちだったか」を聞いてくれたことってなかった。
ということは、その気持ちに対して「そんな気持ちがあったんだね」と共感してくれたこともないということです。
わたしも妹も自分の気持ちに鈍感で、そしてそれを見ることはいけないことだと思ってきました。
だから、いつも誰かのために…と他人軸だった。
そんなの苦しい。
負の感情も、喜びの感情も全部あっていい。
そう思えるようになるまでに時間がかかりました。
きっと、母も義母も。多分父も義父も、同じように自分の感情と向き合う術を知らないのだと思います。
だから誰かが悪い訳じゃないの。
実家との向き合いかた
じゃあ、どうするか。
自分がどうしたいか、なのですよね。
居心地が悪ければ、無理して行かなければいい。
でも、そこには何だか分からない罪悪感が伴いませんか?
「親を大切にできないわたしはダメな人間だ」
そう耳元で呟くもう一人のわたしがいます。
親と断絶しなくても、自分が心地よいつながりの方法を探しました。
- 実家へ行く頻度を減らす
- 実家にいる滞在時間を減らす
- 足を運ばない代わりにラインやメール、電話を時々する

必要だと感じたときに、行けばいい。
行っても居心地の悪さが自分の中で苦しくなった時には、理由をつけて早めに帰る。
コロナのおかげで一定の距離が保てるようになって、すごく快適です。
相手を変えられないけれど、自分がどうしたいかを確認して、出来る範囲でその思いを大切にする。
母を大切にしたい気持ちではなく「大切にしなければいけない」で自分を縛っていたけれど、もう十分頑張った。
自分を大切にすることを意識したら、少し余裕がでてきたので「たまには顔を見たいと思う気持ちを大切にするために実家に行く」を自分の中で意図としてしっかり持つと、モヤモヤが少ないことも分かりました。
最後に
実家の居心地が悪い方~!もしくは一緒に暮らしていて居心地が悪い方。
わたしもです~~~!
ブログやTwitterを通じて、わたしだけではなかったことに気づくこともできました。
実家が居心地が悪いと思う自分はダメなんかじゃないんだと。
生きてきた時代が違えば、価値観も違うから。
そう思えたらホッとしました。
ラクしたい実家を望んでいるわけでなく、話を聞いてもらいたい。理解したいし、理解されたいがあるんだと、わたしの中にあるものを発見できました。
ついつい、ないものを探しがちですが、あるものを見つけて受け止めるたび、自分と繋がれました。
