尊敬している保育のM先輩の話をシェアさせて下さい。
実話です。
物的利益よりも自分の内側が満たされるほうが幸せ
わたしの4月からの仕事は、ほぼボランティアだと先日の記事に書きました。
M先輩も違う園で自然保育をされています。
フルタイムで働き、家に持ち帰る書類もあり想像するだけでハードです。
給与を聞いたらびっくり…生活できるかできないかじゃないですか…。
驚くわたしに「でも、やりたい仕事ができているから幸せ」とM先輩は言いました。
わたしは、そこまで言える自信がありません…。
お金を稼ぐために、妥協している部分は多々あります。
仕方がないことだと思っているし、悪いことでもない。
知りたかったことは「自分が自分じゃなくなるような仕事をするくらいなら、お金がなくてもやりたい仕事がしたい」
と迷いなく言えるM先輩のご両親がどんなかたで、どんなふうに育ったのだろうということでした。
尋ねると先輩は「色々と問題行動やっちゃう子だったの」と笑い、「大騒ぎになった事件もあったのだけれど、頭ごなしに怒るとかウチの親はなかったんだよなぁ…」と言いました。
興味心が引き起こしたちょっとしたことが大きくなって警察騒ぎになったとき、お父様が「座りなさい」と言って小学生だったM先輩がちょこんと座ると
「君はユニークな人だ。だから、これから生きていく上で人に誤解されることもあるだろう。でも、そのままで生きなさい」
と言ったんだって。
「それがわたしの土台とか芯になっているのかもしれない」と。
その話を聞いたとき、涙がぶわっとこみ上げました。
「そのままでいい」が自己肯定感を育む理由
わたしは大きな問題を起こす子じゃなかったし、起こせるようなパワーも持っていなかった。
親にとっての(小さな)問題行動を起こすと
「何やってるんだ!」「迷惑をかけるな」
と怒られました。
自分の意見を頑張って言葉にしたときには、
「親に口答えするなんて10年早い!」「偉そうなことを言うのは働いてからにしろ!!」
と手も上げられました。
自分の気持ちに蓋をして、怒鳴られないように過ごすしかなかった。
わたしの自己肯定感は、今もまだ低めです。
「そのままでいい」って、なんて素敵な言霊だろう。
4月から勤める園のリーダーが「幼児期に全てを受け止めてもらえる経験をすることが大切なんだ」と言っていたことを思い出し、そういうことなんだと理解できました。
ありのままでいいと言われて育ったら、自分はダメだと思わなくて済むのよね。
一斉保育や一斉教育ではできることを褒めて評価し、できないことは「もっと頑張れ」と励まします。
頑張りたいタイミングも個人の力も得意なことも違うのに、一定のラインが引かれてそれ以上かそれ以下かに分けられてしまう。
自然保育では自分の目標も到達までの時間も自分で決められます。
本当の意味で一人一人を大事にするのなら、みんなが同じ目標に向かわなくてもいい。
言ってほしかった言葉を息子へ
ありのままでいいって、わたしは息子(希生)に言葉として伝えてきたかな。
「あなたが大切」とは伝えてきたけれど「そのままでいい」って言葉を伝えたことはないかも…。
そんなことを考えていたある日、期末テストの勉強をしている希生が「覚えることがたくさんありすぎてパンクしそうだ…」と言いました。
見ているだけで大変そうで、痛みが伝わってきました。
「学びたいものがあるから頑張っているんだね。それでも疲れてヘトヘトになるよね」と共感してから、
「テストで点が取れても取れなくても、大学に行っても行かなくても、希生は希生に変わりなくてその価値は変わらないと思ってるよ」と伝えました。
「ありがとう」と言った希生の表情は穏やかで笑顔でした。
その言葉を心の底から言えた自分に祝福がありました。
お互いが満たされる不思議な言葉でした。
以前ならどんな選択でもいいと言いながら、心の奥の奥に「みんなと同じように」や「平均的な」などの余計な思いが邪魔をしていました。
それでも、自分が進路選択を自由にさせてもらえなかった痛みから、希生の気持ちに寄り添おうと努力していました。
わたしの必死な子育ては「こんなふうにしてほしかった…」という願いと「親のようには絶対にならない」という恐れの両方がパワーになっていたの。
痛みと向き合って消化しながら、本当の意味で自分と繋がれるようになり、今は願いからのパワーで満たされています。
M先輩のおかげで、また自分と希生とつながることができました。
