子育ての理想と現実
子どもの長所を伸ばしたい。
良い所を褒めて、笑顔で生活したい。
頭では分かっていても、日々子どもと向き合っていれば目につくのはマイナス点ばかり…。
今日もたくさん怒ってしまった。
理性を捨てていた瞬間もあった。
一日が終わりかわいい寝顔を見ながらのひとり反省会…それが現実。
ここをこうすれば、もっとこうなるのに
こんな部分がダメなんだよ
こんなふうになってほしい
子どもに対する願いは愛情の証。
願いをもつことは悪いことではありません。
でも度を越し過ぎたとき、結愛ちゃんの義父のようになってしまうこともある…。
今日は、子どもへの効果的な伝え方、寄り添い方について書きたいと思います。
子ども目線で目標を考える
今日はお箏のお稽古日でした。
十年以上続けているので、そこそこなら弾けますが上達は亀スピード。
自分の好きな曲を弾いているときは楽しいものの、古曲など苦手なものに取り組んでいるときはドヨヨーンと弾いています。
譜面を読むだけで精一杯なときに、先生に「ここは八分音符だからこんなリズムで、強弱はこうして、ここにきたらゆるめて、それで……」と矢継ぎ早に言われると……
( ´д`)←こういう顔になります。
一度に言われたことで耳に栓がついたように先生の言葉が理解できなくなる不思議。
お箏を習うという選択を自分でしていても、このザマです。
自分で選択していないのに、やらなきゃいけないことを課せられた子どもの気持ちを考えたら、そりゃそうだよね!と思う。
宿題なんて楽しくないのに「やりなさい」「あなたのためよ」「きれいな字で」「姿勢よく」
あ~💦ってなるよね…と。
子どものやる気が削がれているとき「できない」「難しい」「つまらない」がグルグル回っているんです。
子どもに目標を伝えるときには、ちょっと手を伸べせば手が届きそうな高さにするのがポイント。
周りの子がこれくらいやっているからこのくらいはできなくちゃ、学校からこう言われているからなんて無視。
周りを気にしてできない目標に向かってジャンプさせても転ぶだけ。
その日その高さをまぐれで飛べることが目標ではなく、1ミリずつでもいいから前に進んで(=成長して)ほしいですよね。
マイナス行動は見ずに、小さなプラスに声を掛ける
お箏の稽古中、わたしのやる気が持ち直すのは先生のこんな言葉でした。
「一気に全部はむりよね。少しずつでいいからね」
「こんなこと言いながら、わたしもまだまだなのよ。だから一緒に練習できるのが楽しいわ」
「前回より上達してるね」
間違えまくったなと自分で気づいたときに、何も言わないでくれるとホッとします。
「うちの子にプラス部分が見つからない」と言うかたもいますが、できていることを当たり前だと思わず褒めてあげてほしいです。
昨日まで言わないと行動できなかった小さなことができたら言葉にする。
小さなステップを少しずつ上がることで、自己肯定感が高まり次の目標に進むことができます(*^^*)
自分の気持ちと相手の気持ち、どっちが大切?
娘さんのお友だち関係で悩んでいるという相談をお受けしました。
お友だちに暴言を吐いてしまう。順番を譲ることがなかなかできない。みんなの楽しい雰囲気を壊してしまう。
娘さんがお友だちと上手く関われるように、仲裁に入ったり、毎日の言葉掛けを工夫しているそうです。
「相手の気持ちを考える子になってほしい」という願いがひしひしと伝わってきました。
実は…
わたしも、つい一年前までは息子に「他人に迷惑をかけないで生きてほしい」と思っていました。
もちろん健康にとか元気にとか生きていく必要最低限のこと以外の願いね。
他人に迷惑をかけない範囲で好きなように生きてほしい。
そんなふうに親が子に思う国は日本くらいなんですって。
聡子先生と初めてお会いしたときに聞いた言葉で、わたしの中で衝撃でした。
自分の感情や気持ちよりも周りを優先させている自分、それを子どもや周囲にも求めている自分にやっと気づいたから。
相手の気持ちを考えることは大切なことです。でもそれと同じくらい(それ以上に)自分の気持ちも大切。
娘さんがどうしてそんな行動をとってしまうのかに耳を傾けて「頑張っていたのに、残念で怒りたい気持ちになったんだね」「こうなりたいがあるのに、できなくて悔しいがあるんだね」と寄り添う。
ポイントは、
良い悪いの判断でもアドバイスでもなく全てを受容する
その上で「お母さんにできることがあったら言ってね」と伝える。
上手に歩けるように線路を引こうとしがちですが、子どもは失敗しながら学びます。
助け舟を出してもらうことで乗り切れていたら、自分で問題を解決する力を養えません。
淋しい時間が続くかもしれない。
それは、もしかしたら親子で辛い時間になるかもしれない。
それでも「お母さんはどんな〇〇ちゃんも好きだよ」と言ってあげて下さい。
自分の気持ちを押し殺し、周囲に合わせる自分でないと誰からも愛されない…そんなふうに思わなくていいように。
どんな自分でも愛してくれる人がいるんだ…と思えたらパワーになります。
自分で動き出したとき、そうっと背中を押してあげればいいのです。
子どもの問題と自分の問題を整理する
こんな偉そうなこと書いていますが…
息子(希生)が小学生になったばかりの頃、ママ友に誘われて親子で放課後交流を何度もしました。
公園で鬼ごっこをするたびに足の遅い希生が狙われて鬼になる。
なかなかタッチ出来ずに鬼が続く。
泣きそうになる。泣きそうな希生をみんなが笑う。
それを見たわたしはモヤモヤしました。
その時「どうしたら希生が、友だちと楽しく遊べるか」を真剣に悩んだの。
わたしの心の中には
- 子どもは友だちと仲良く遊ぶ
- 子どもは外で元気に駆け回る
そんなべきがあったんだろうなと思います。
そうしないとダメな子だ。そう育てられないわたしもダメだ…と。
願いの中に潜む、子どもに自分を投影していた部分。
出来ていない子どもの状況が、自分のせいであるような錯覚。
それを切り離せなかった。
子どもは子ども。自分は自分。
寄り添うことと一心同体になることは違うんですよね。
それに気づくと、親としてできることがシンプルになります。
わたしは希生に「学校で友だちと遊んでいるから、家に帰ってきたらゆっくりしたい」と言われてハッとしました。
それから無理して放課後交流することはやめました。
希生は小学校2年生で、気の合う友だちを見つけました。そこまでの時間は長かった。でも、子どもは自分で自分に合う友だちを探すものなんだと知りました。
今日のワンチャレンジ
周囲と比べることをやめて、目の前にいるその子なりの成長を見つけて褒め「大好きだよ」と抱きしめる