5月に大きな手術をした義父が退院しました。
入院生活が限界で、本人の強い希望があっての退院です。
口から食べられる量はほとんどなく、お腹につながれたチューブから栄養を補給しています。
毎日の栄養点滴、薬の管理、もしもの場合のことなどで義母はいっぱいいっぱいの様子です。
先日家族で顔を見に義実家に行きました。
久しぶりに会った義父は一回りも二回りも小さくなっていました。
義父への気持ち
わたしは義父があまり好きではありません。
義母から苦労話をこれでもかと聞かされたし、夫からも聞いていました。
お人好しですぐに人を信じて失敗し、賭け事が好き。
家族に何度も迷惑をかけて生きてきました。
それでも家族の話はきかずに、自分の思いで突っ走ろうとする。
小さくなった義父を見て、複雑な気持ちでした。
体は小さくなって、動けない状態でも「来月には元気になって、グラウンドゴルフに行く」「お盆には(田舎の)山形に行く」と言っていました。
それに対して、義母が「無理でしょ。まずは食べられるようにならないと、まったくホラばっかり吹いて」と言い捨てました。
義母への気持ち
義母が苦労してきたことも、傷ついたことも知っているから、言い捨てたくなる気持ちは痛いほど分かりました。
そしてその裏側に眠る本当の思いも知っています。
入院中にした、義母とのメールでのやり取りです。
わたしから義母へ
こんばんは。お父さんの様子、夫から聞きました。
食欲がないの、心配だね。
何もできないお母さんもつらいね。
お母さんの食欲は大丈夫かな?
わたしは希生(息子)が膵炎で食べられなかったとき、自分だけが食べていることに罪悪感があって食べられなくなっちゃったんだよね。
食べたいパンありますか?
なにもできないけれど、パンでよかったら作れるのでリクエストください。
義母からの返信
こんばんは。
心配かけてごめんね。
昨日はアンパンを食べられたと喜んでいたのよ。
もっと食欲が出てくるといいんだけどね。
わたしの作った食事を食べてくれるといいのにね。
早く退院できたらいいのにね。
ありがとうね。
あんなに苦労させられたのに、義父のことが心配だし、愛しているんだなぁとこの文面を見て思いました。
なにが正しいも間違いもない
わたしは義父の入院、手術でずっとモヤモヤしていました。
それはどこかが悪くなる→病院に行く→悪いところは切り取る
それは一見当たり前のようだけれど、そこにたくさんの選択肢がなくて、説明もされていない。
義母からは「それが一番いい方法で、それしかないみたいなの」と聞きました。
本当かな…?
どうしたいのかに全然寄り添っていないし、義父も義母も本当はどうしたいのかに向き合っていない。気づいてもいないのではないかと感じたのです。
癌が見つかったら、切除する。抗がん剤をうつ?
抗がん剤の副作用で細く細くなっていって、やりたいこともできなくなって、寝たきりになった人がわたしの周りに何人もいます。
一日でも長く生きたい。
生きてほしい。
きっとみんな同じ思いはあるよね。
ただ、そこに潜むリスクを考え、生きてきた年齢を重ねたときに、どんな選択をするかはわたしならじっくり考えたいなと思うのです。
数日前に読んだ投稿です。長いけれど、ぜひ読んでほしいです。
年齢によっては一日でも長くを選択することもたくさんあるでしょう。
管を外したらうまくいく、という保証があるわけでもありません。
わたしは…そしてあなたは、何歳まで生きたいですか?
どんなふうに生きたいですか?
どんなふうに死にたいですか?
何歳まで生きたいかは、その人によって違いますし、その時々でも変わっていくものだと思っています。
でも70歳まで生きられたら、わたしは万々歳だと思っています。
そこまで生きられることが奇跡だとも…。
それは息子の闘病生活があったこと、実父の病気、早くに亡くなった友人がいることも関係しているかもしれません。
どちらの選択が正しいとか、どちらの選択が間違いかを決めるのではなく、本人とその家族が
今、どうしたいのかを真剣に考えられるようなサポートと選択肢があったらいいなと思います。
幡野さんのツイートはよく見せていただいていて、影響を受けていると思います。
この記事を書きながら、わたしは「自分の気持ちに意識を向けて、これからどう生きるかを考えてほしい」そのために、義父と義母のサポートがしたいんだなぁと分かりました。
理想と現実
現実には難しいです。
今義母は自分の中にゆとりはなくて、相手の話を聞ける状態ではありません。
不平や心配をぶつけて少しでも軽くなりたい、という状態です。そういう状態であることにも気づけずに、そばにいる義父やわたしたちに感情をぶつけています。
自分とつながり、感情ではなくて願いから伝えられたら、義父の言葉に対して「そうだよね。グラウンドゴルフにも行きたいし、山形にも行きたいね。わたしも早く作ったご飯を食べてほしいよ。わたしも辛いし苦しいけれどお父さんが元気になってほしい気持ちがあるよ」と伝えられるのかなぁと思います。
今はまだ向き合える時期ではないし、その時期が来るのかどうかも分かりません。
義母にとってわたしのサポートが必要になったときには、寄り添いたいと思っています。
人は年を取ると「自分」が出来上がってしまって、なかなか変えることができません。
それはいいことでもあり、世界が縮まってしまうことでもあります。
年老いる前から自分とつながり、自分を大切に生きたいなと改めて感じました。
そして家族にはわたしにもしものことがあったなら、余計な延命はいらないと何度も伝えています。
年齢関係なく、生と死についての話を家族でしておくことも大事ですね。
わたしはわたしであるために、イキイキと生きたい。
