久しぶりに現在の息子について書きます。
つい先日、すごく嬉しいことがあったのです。
中間テストで、苦手な数学の点数を大きく落として人生初の赤点(もしくは赤点に近い点数)を取ってしまったみたいなのです。
何となく悶々としているなぁとは感じていて、学校行事が続いた疲れかなぁとも思っていました。
それもあったと思います。
希生は集団行動が苦手、周囲と同じことを求められることが大嫌いです。
体育祭では所属した団が優勝して、みんなが盛り上がっていたけれど、自分は全く盛り上がれなかったと呟いていました。
「それでもいいんじゃない。去年の三者面談で先生言ってくれたよね。その輪に無理して入らなくていい。楽しんでいる人を認めてあげられればそれだけでOKって」
気質は変わらない
夫の気質も変わらないけれど、希生の気質も変わらない。
そう理解出来るまで、わたしの中で長い葛藤の時間がありました。
周囲の子と同じようであってほしい。人の輪から外れないで欲しい。
そんな願いは心のどこかにいつでも眠っていたと思います。
心の内側から希生の気質を理解出来てから、良い部分が前よりも見えるようになりました。
悩みを打ち明け合う
会話の中で、わたしが受けている講座の話題も時々します。
「なかなか自分を解放できなくて焦っているの。周りの人の向上心やポテンシャルが高くて凹むんだ」と、話したときに希生が言ってくれたことです。
「僕は何を学ぶかも大切だけれど、どこで学ぶかも大切だと思っているんだ」
最近授業で学んでいるワークが昨年参加した研修の内容と似ているのだとか。
研修は希望制で東日本大震災その後について、福島へ行き現地の人と触れ合って学ぶものでした。
震災の復興だけでなく、生や死についても考える研修だったようです。
似ている内容のワークでも、場の雰囲気が全く違うらしいのです。
授業の中でやらされている。仕方なくやっている…そんな空気が漂っている。
「結構面白いことをやっているのに、もったいないなって。研修に参加した人は学びたくて来ていた。自分で選んで来ているから、学ぶ意欲に溢れていた」
「だから、お母さんは自分は出来ていないって思っているかもしれないけれど、その場にいるだけで価値も意味もあることだと思うよ」
その言葉に納得している自分を見つけた時、やっぱり子育てって育てられているんだなぁ…と思いました。
苦手な数学、どうする?
数学の赤点問題ですが、赤点になったのかギリギリ免れたのかは聞いていません。
復習をして対策を練っていました。
勉強時間内は、スマホを預かってほしいと言ってきてびっくりしました。
スマホに操られているなぁと心配はしていました。渡す前や渡してからしばらくの間は、スマホとの付き合い方について何度も話し合いました。でも、渡した以上は本人に任せる部分も必要だろうとここ一年は何も言っていません。
いつまでも親が管理していたら子どもは自ら考える力を養えない。
勉強は意義を見つけられるから頑張れるもので、親が駆り立てたり煽ったりしてするものではない。
自分に何度も言い聞かせました。
二人三脚からの脱却
小学生のうちは二人三脚でした。
中学生は見守ることをベースに、時々はアドバイスもしました。
高校生は手放すを意識して、見えないふりをしました。
わが家は一人っ子なので、意識しないといつまでも見えちゃうのです。
でも、大丈夫。
きっと自分で考えて行動出来る。
信じて見守って良かった。
壁にぶつからないように、困らないように手を出すことが親の役割ではありません。
これ以上はマズい…と思う壁を自分で感じたからこそ、どうするかを考えたのだと思います。
息子の成長を垣間見れた嬉しい出来事でした。