タイトルを書いて、すでに泣きそう(笑)
どうしてかと言うと、後悔したくなくて子育てを頑張ってきたから。
戻れるなら「考えたかった」ことがあるので、書きたいと思います。
ちなみに息子は現在高校3年生です。
子どもの頃の記憶
小学生のとき、両親を事故で亡くして、おばあちゃんと暮らしている友だちがいました。
おばあちゃんと暮らしていることが原因で、いじめられているところを目撃したこともあります。
今振り返るとヒドイことだよね。
でもわたし、何もできなかった。止めるどころか、後ずさりしました。
父も母も元気で学校に行かせてもらっているし、ご飯も食べている。
不便はない。寂しいなんて口にしちゃダメだ。
わたしは友だちの状態よりマシ…って、人を下に見て我慢していたんです。
母は感情を表現することが苦手なタイプ。わたしの行動が気に入らない時には、理由も言わずに長い間口をきいてくれませんでした。
無視される時間が苦痛なので、母にとっての正解を探す日々。
モノを買う時も、学校を選ぶときも、自分で選べと言いながら選べる範囲を指定されたり、圧をかけられたりしました。
「どっちにするか決めなさい」ではなく、それを選びたい気持ちの中にどんな思いがあるのかを知ってほしかった。「そんな思いがあったんだね」って共感してほしかった。
自由がほしかったし、安心できる場所がほしかった。愛されている実感がほしかった。
息子の誕生
息子が生まれたとき、かわいいよりも大変が上回ってヘトヘトでした。
独身時代は幼稚園に勤めていたので、乳児のことが全く分からなかったのです。
成長してくると、やり取りができるようになって嬉しかった。
息子はわたしを信頼してくれました。
親子ってこんなに絆が強いものなんだぁって知りました。
息子のためにできることは何でもしたかった。
自分が躓いた道を息子が歩かなくて済むように、早期教育もしました。楽しめるように工夫もした。
息子が興味を持つことは、他の子とちょっと違っていて面白かったです。
標識が好きだったのであちこちの標識の写真を撮ったり、自衛隊が好きになれば基地に見学に行ったり、大好きな本に触れられるように毎週図書館に通ったり。
息子の喜ぶ顔を見るのが幸せでした。
「自分のやりたいことを考える」なんて言葉、その頃のわたしの辞書にはなかったな。
母親は子どものために行動することが当たり前、って思っていました。
苦しいでしょ。そう思ったのは、自分がそうして欲しかったからだと思います。
コロナの影響で子どもとの時間が増えて、自分の時間がなくなっている人も多いんじゃないかなって不安になる。
もちろん子どものための時間も必要だけど、それと同じくらい自分の時間も必要だよ。
10年前にコロナが起きていたら、わたしはどうしていたんだろうって考える。
多分…いや、絶対に頑張りすぎていたと思う。
わたしの息子への想いが強すぎたことは、息子が自分でどうしたいかを選ぶときに邪魔をしてしまったこともありました。
信頼関係が強いからこそ、わたしの考えを気にして影響を与えてしまった。

むしろ頑張ったね~って褒めてあげたい。
でも、苦しかったね…と声もかけたい。
わたしが子育てを頑張った理由
強い願いの中には自分が大切にしたいものが眠っています。
わたしが息子の子育てで大切にしたかったことは、愛、成長、守りたい…。
そして、自己受容だったのだなって。
息子を愛していたことに違いはないけれど、正解を探して生きてきたクセで子育ての正解も探していた。
母のような母親には絶対にならないという気持ちも強くて、間違わないために必死でした。
でも辛いんだ~。だって間違って当たり前だもの。
「ちゃんとした母親になろう」「頑張っている子育てを誰かに褒めてもらいたい」っていう気持ち、みんなも持っているんじゃないかな。
だから子育て中ってたくさんモヤモヤする。

〇〇を外してラクに子育てしたかった
昨年色々な研修や講座を受けて自分と向き合ってから、こんなにいくつもの重たい鎖を、自分でくっつけて歩いてきたんだなーって知ったの。
息子が選んだなら、どの高校でもいいと思ったのは本心です。
【公立高校受験まとめ】行きたい高校の見つけ方と親が出来るサポートについて
でも、心の奥の奥で、最初に希望していた高校ではなく今の高校を選んだとき、ホッとした。

どこでもいいって言いながら、社会的な評価を気にしていたんだなぁと思った。
「不登校になったら困るよね」
「障害を持っていなくてよかったね」
って言われたら、以前なら「本当だね」って返したかも。
多様性多様性って言いながら、フツーじゃないものをわたしは知らないうちに排除しようとしていた。
「べき」の鎖が早くに外れていたら、子育てはもっと楽しくてラクだったのだろうな~と思います。
今、学校を辞めたいって言われても、大学に行かずに働くって言われても、なんとも思わない自信がある。
その時には、それを選択したいと思う奥に眠る願いに耳を傾けたいと思っています。
この一年でわたしが自由に生きられるようになり、その心地よさを知りました。
「多様性」を体感できた。
いい学校に行って、いい会社に入って、それなりに収入を得て生きるより、自分らしく生きて欲しいって思っています。
息子さんが大きくなったからでしょ?と言われるかもしれないけれど、わたしが勤めている自然保育の園の保護者は、すでに重たい荷物(べき)を持っていない人が多くて驚きました。

と、聞くと「知識や行動を強制的に詰め込まれることに抵抗があって、この子の個性を伸ばしたい」ってほとんどの方が言います。
そんな家庭環境と自然の中で育つ、子どもの伸び伸びとした感性とたくましさ。
自分の気持ちに敏感で、落ち込んでも自分の力で立ち上がれる、自己肯定感の高い子が多いな~って思います。
探せばいくらでも早期教育を取り入れている園、長く預かってくれる便利な園がある。
そんな中で自分のやりたいことをトコトン探求できる園に入れたいって、10年前のわたしなら思わない。怪我も怖いし。フツーに生きて欲しいって思っていた。
こんな面倒くさい記事を最後まで読んでくれたかたに、質問です。
- フツーって何だろう
- 子どもに願う「幸せ」って何だろう
わたしの後悔は、子育て中にこの2つに向き合わなかったことです。
わたしはわたしのままでいいし、あなたはあなたのままでいい。
いやいや、まだそういう社会じゃないから。
確かに…。それが課題だよね。

未来はもっともっと選択肢の広がる世界になるといいな。
そこで自分の個性を羽ばたかせて生きる、子どもたちを想像したら嬉しくなる。
こんな熱い記事をバーッと書いちゃったのは、はてなブログで仲良くさせてもらっているモッピーさんに言及を頂いたからです。
モッピーさんが息子さんを楽しませるために、色んなこと頑張っている姿が時々自分と重なります。
だからってモッピーさんがわたしと一緒っていうわけでは全然ないです。
わたしはモッピーさんの息子さんに寄り添う子育てが好きだし、モッピーさんが好きです。

小学生のお子さんをお持ちの方に参考になる情報がいっぱいのブログを書いていらっしゃいます。
少し前に嬉しい言及を頂いて、嬉しくて何度も読みに行っています♡