見守る難しさ
記事の中で見守る大切さについて何度も書いてきました。
でも、つい言葉が飛び出てしまう。
そんなこともありますよね。
大丈夫。
あなただけではありません。
ほとんどの人が多少なりとも言っています (たぶん)。
わたしも息子(希生)が小さい頃は、結構言っていたかもしれません。
小さい頃の希生は忘れ物や失くしものは、ほぼ毎日。
やることはかなりのスローペースでした。
我慢したつもりですが、小言を言わざるを得なかった。
今日は言いたくなった時に、どうやって小言を止めているかについて書きたいと思います。
小言を言いたくなるサイン
それはプチっと何かが切れる音がします。
プチっが続くとブチという音に切り替わります。
そんなときにすぐすることです。
昔の自分を思い出す
ア~💦💦
頑張っていた輝かしい過去を持つかた。
わたしの話は参考になりません。
ごめんなさい💦
勉強は頑張っていなかった。
部活も大して頑張らなかった。
親や先生に反抗心ばかり抱く。
ダメダメだったわたしと比べれば、希生の姿はキラキラです。
「生物も数学も対策しきれてないからダメだ~。ま、赤点さえしのげればいっか」
という発言も
はっ?まだ対策する時間あるのにそれ言う?
最初から諦めるんでない!
なんて、わたしは言えません。
家にいる時間が苦痛だった私は、テスト期間中でも友だちの家に入り浸ってマンガを読んでいました。
希生は対策しきれてはないけれど、一応対策したのです。
遊びにも行っていません。エライのです。
否定も肯定もしない
でもそれで(=赤点さえしのげれば)いいと肯定もしないようにしています。
「そっか。希生がそれでいいならいいんじゃない」と。
「いいわけじゃないけど…うーん…」
その後どうするかは、自分で考えることだもの。
自分で出した答えなら、どんな形になっても納得なはず。
と上手く割り切れるときもあれば、引っかかってモヤモヤするときもあります。
そのモヤモヤを口にする前に見るもの。
自分の通知表を見返す
いくつか残っているわたしの通知表。
そこに書かれている先生のコメントを、ある時久しぶりに見て笑いました。
好きな教科とそうでない教科の取り組み方に差がある。
自分自身の中にあるモヤモヤをふきとばすような活動を望みます。
ムラ!
今もあるわ( ̄▽ ̄;)
成長していない。
モヤモヤ!
今も抱えている(笑)
これ以外にも
「学習面での集中力不足を感じさせられることが多かった」
「明朗素直な言動を外側に出そう」
「周囲のムードに流されず自分なりの考え方を大切にし、良い面を外に向けて発揮してほしい」
など。
えー、これを直訳すると
集中力がない
暗くて強情で
周りに流されて悪い方向に行っている
ということですね(  ̄- ̄)v
特に中学時代は全てが上手くいかなかった暗黒の時代です。
頑張りもせず、可愛げのないダメ子だったと思います。
親が出来ると子どもは辛い
周りの話を聞くと「お父さん(お母さん)はもっと〇〇しておけば良かったと後悔しているんだ。だからもっと頑張った方が良いよ」と子どもに話すかたも多いみたい。
つい上を目指して頑張れと背中を押したくなるのが親というもの。
そんなときも、通知表を見てキキキキーっと、ブレーキをかけます。
おっと、そうだった。
夫とわたしの子だった。
ほどほどでいいよ
究極なところ、元気で誰かに迷惑掛けていなければいい
「お父さんもお母さんも頑張ってこなかった分、社会に出てからすごく苦労したの。
でも、ほら何とか生活している。楽しくやってるでしょ。だから、頑張りすぎなくて良いよ」
と伝えています。
現在研修に行っています
この記事は昨年書いたもののリライトです。
あれから一年、更に自分のことは自分で出来るようになりました。
当たり前ですが。
やっぱり、ギリギリにならないと動けないみたい。
でも、ギリギリになれば動くんだよね。
そして同時進行が苦手みたいです。
春休み中は宿題を終わらそうとそれだけに必死になっていました。
でも先日仕事から帰宅したら、外に靴や上履きが洗って干してあり、研修に行く準備も終わらせてありました。駐輪場の更新にも行ってきたようです。
最後にバタバタしなくても、余裕を持って早めにやればいいのに…と思いますが、間に合っているのだから、それ以上言うことはないのですよね。
わたしも何かを頑張っている時に「これもやってみなよ」「こうした方が良いよ」という善意のアドバイスでも重荷に感じたことがありました。
自分の苦手なものに置き換えて考え、伝えるって大切なことなのかもしれない。
毎日を楽しく過ごしたいから、小言は少なくしたい。
母と会話してくれる時間はあとどれくらい残っているのかな。
そんなことを思うと切なくなる今日この頃。
食べているもので体が作られるように、毎日の会話で関係って作られているのですよね。